伝統に生きる職人達

伝統に生きる職人達、それは伝統の叡智と匠の技への感動物語。



職人達は、原料入手の難しさや後継者の不在といった、共通する悩みを抱えながらも、皆、仕事に愛情と誇りを持っていた。

何代も受け継ぎ、磨き上げられた技の見事さのさることながら、一所懸命に匠の技を反復・継承する姿の尊さに感じ入った。

素材の命を生かしたまま、ものを作り出す伝統の叡智には、自然への敬意と畏怖があった。職人が作り出す形は皆一様に美しい。

それは美に阿ず、用に全てを委ねた自然な形。

風土が育んだ豊饒なバリエーションを多数図版で紹介。


帆前掛のこと、その歴史

 

酒屋さんや八百屋さんが腰にキュッと締めた、紺地に文字や印を白抜きした帆前掛。これは昭和二十年代、三十年代に豊橋で大量に作られ、全国に売れたヒット商品だ。今でも運送業のお兄さんやラーメン屋の店員さんが使う姿を時折見かける。膝まで覆う前掛姿でてきぱき動く姿は、いかにも仕事人といった粋な風情だ。



花火所・豊橋

 

徳川家康の生地・三河は、江戸時代に火薬製造を担ってきた長い歴史があり、現在でも打ち上げ花火や玩具花火の製造販売、卸問屋などが集中する。とくに西三河は玩具花火が有名で、豊橋市を中心とした東三河には、打ち上げ花火を作る煙火会社が多い。



東海道に残る曲げ物作り

 

吉田宿を東西に抜ける東海道が、曲尺のように折れ曲がる。まさにその名が付いた曲尺手町。折れ曲がった道が南北を向いた筋に、この辺りで唯一の曲げ物作りの職人、森牧夫さんの店がある。晴れた日には、くるりと輪になった檜の板が、軒下に幾つも並ぶ。しっとりと濡れた檜からほのかに木の香りが立ち上り…



高級筆の産地

 

江戸時代末に、京都の筆職人を吉田藩学問所の御用筆匠としたことにより、豊橋筆の歴史は始まり、特に書家が愛用する高級筆でよく知られる。国産毛筆では広島県の熊野筆や奈良筆が有名だが、高級筆に限れば、豊橋産は70%以上のシェアを持つ。これを支えるのが、現在十五人いる伝統工芸士を中心とした筆職人たち。



一日一張

 

豊橋の市街地から、豊川を挟んで北側に位置する下地町には、川沿いに東海道が通っている。楓の枝に覆われた山門は、松尾芭蕉が「ごを焼いて」と詠んだ聖眼寺。ところどころ折れ曲がる古い街道筋に町屋が並ぶ辺りは、微かに江戸時代の名残が感じられる。



吉田鍛冶と牛久保鍛冶

 

鍛冶屋というと、職人二人が日本刀をトンカントンカンと鎚で打つ刀鍛冶が思い浮かぶ。時代劇などで見たイメージである。戦国時代には、こうした鍛冶が、多くの場合、城下の一角に集められ、大名や武士の注文に応じて刀や鉄砲を生産した。かつての城下町に鍛冶町の名があるのは、その名残りといえる。



伝統に生きる職人

B6判/ハードカバー/272頁

発売日2008年09月20日

定価 3,000円(税別)